2011年02月09日
川本 裕子 | 早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授 | 経歴はこちら>> |
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当たり前のことだが、問題は、問題と認識された時に初めて問題となる。客観的にどれほど深刻なことが起こっていても、当事者がそれに気づいていなければ問題は存在しないに等しい。顧客ニーズと商品のギャップ、組織内のコミュニケーションの悪さなど、企業の屋台骨をゆるがすような事態があっても、それを当事者たちが「問題である」と認識しない限り、危機感や行動は生まれない。決算上の赤字は問題を早期に「見える化」する仕組みである。企業経営で問題発見のスピードは死命を決する。
個人の生活で、多くのことを問題として認識せずに生活していく方がストレスは少なく、心の健康を維持しやすいのは一面の真実だ。他方でKYの度合いが過ぎると周囲の人との関係にひびが入る。「病は気から」ともいう。からだの不調を気にしすぎると却って健康に悪いという医師の話を聞いたことがある。他方で重病の芽は見逃さない注意深さも人生の知恵だ。健康に暮らすためにも、私たちの問題認識のバランス感覚は大事だ。
○メディアが決める「問題」
ことほど左様に、我々の認識は物事をさまざまに規定し、我々の行動を決定づける。認識の違いは、価値観にもよるだろうし、生活感覚によっても違う。我々が住む世界は多様性に満ちているので、何を問題としてとらえるかについては大幅な自由度が存在する。
新聞やテレビなどのメディアの問題の捉え方は、人々の問題認識に広範な影響を及ぼす。初めから客観的に、誰が見ても同じ問題が存在するのではなく、メディアが問題だと決めたからこそ問題になることも多い。たとえば、筆者はこれまで政府の委員会・審議会に何度か参加する機会があったが、あらゆるメディアが連日多くのスペースや時間を割いてその内容を報道する会議もあるし、政策という意味では同じように大切なことだと思われるのに、まったくメディアの関心をひかない会議もあった。メディアが問題でないと思えば問題は存在しないに等しくなる。しばしばその違いには驚かされた。
→次ページに続く(「大問題」に違和感)
タイガーマスク現象が、日本各地に広がっている。筆者はこの善意と共感の広がりの中で、たった一つ、「覆面」(マスク)=匿名で行われる事象が、気になってしかたがない。・・・>>続き
社会保障・医療問題の専門家。保険会社勤務や民間医療法人の理事、海外研究所での研究員、厚生省研究班のメンバーなどの経験があります。国の制度・政策と現場の実情、海外事情に通じた立場から社会保障や医療を論・・・>>続き